これまで、医療安全マネジメントでは、有害事象を減らすことを目的に失敗事例を学習の対象とし、特定された原因に対して個別に安全対策を講じてきました。手順遵守やルールの追加など、人間の行動をあたかも機械のように制御しようとする対策が中心でした。しかし、過去の失敗からの教訓を蓄積しても、経験したことのない事態に対してはうまく対応できません。
また、失敗を起こさないことが目的化し、仕事における本来の目的や意義を見失われてしまったり人々のモチベーションが失われたりの弊害もあります。
インシデントレポートを書くときなど、「嫌だな」と思って書いてました。
そこで、人々はなぜ失敗したのかではなく、人々はどのようにうまく仕事を行っているかに注目するとどうでしょうか。
- 失敗から学び、減らす
- なぜ成功しているかを学び、成功事例を増やす
どちらも結果的には失敗を減らすことができます。
今回はこのような考え方「Safety-Ⅱ」について見ていきます。
安全のとらえ方
安全のとらえ方は2つの見方があります。「失敗に着目」するか「成功に着目」するかです。
失敗に着目
失敗:ある特別な出来事(イベント)
成功に着目
成功:時々刻々と変化する状況の中で、何事もなく物事がうまく行われていること(ダイナミックイベント→動的な日常:業務)
ダイナミックイベント
ダイナミックイベントとは例えば、
大きな交差点で多くの人々が横断歩道を渡りはじめ、時々刻々と状況が変わっていく中で互いにぶつかることなく歩き、青信号の間に何事もなく横断歩道を渡りきるというような一連の動的な相互作用と様子とその結果。
です。
社会技術システム
社会技術システムとは、
組織全体の振る舞いを理解するため、個人のパフォーマンスの総和としてみるのではなく、社会的な側面とテクノロジーを含む技術的側面の間に相互作用や相互関係性を理解する必要があることを前提とした用語
です。
システムとは、
多数の構成要素からなり、構成要素間の相互作用を通じて、機能を発揮する、もしくは目的を果たすもの
です。
システムには
- 人工システム(自動車、建物など)
- 自然システム(生物、太陽など)
- 社会システム(医療チーム、会社組織、地域組織など)
があります。
みんながバラバラで全体としての目的や機能がないものは人やシステムではなく、ヒトやモノの寄せ集めにすぎません。
複雑なシステム
複雑なシステムには「Complicated system(精密機械系)」と「Complex adaptive system(複雑適応系)」という、性質の異なる2種類のシステムがあります。
- Complicated system(精密機械系)
状況や環境に影響されない閉じたシステム。
うまく機能するためのは設計による制御が必要。
- Complex adaptive system(複雑適応系)
他のさまざまなシステムとつながった開いたシステム。
自律的で柔軟な適応力のあるパフォーマンスが必要。
扱いやすいシステム、扱いにくいシステム
扱いやすいシステム
システムがどのように機能しているかという動作原理が十分に理解されており、それを比較的シンプルに説明できる。自動車生産ライン、郊外の鉄道などが該当。
扱いにくいシステム
システムの動作原理は部分的にしか理解されておらず、それを記述するには膨大な説明が必要。ヘルスケア、金融市場などが該当。
レジリエントなシステム
- レジリエンス
システムやモノの有する弾力性のある特性
- エンジニアリング
モノとモノを組み合わせて、より優れた機能を発揮させることを追求する技術や学問体系
- レジリエントなシステム
様々な変化、擾乱、後期の起こる前や、その最中や、その後において、うまく機能を調整し、想定内の状況でも必要とされるパフォーマンスを維持できるシステム
つまり、変動する様々な条件のもとで、物事をうまく行い、意図したアウトカムを得ることができるシステムといえます。
Safety-ⅠとSafety-Ⅱ
Safety-Ⅰ
失敗に着目し、「失敗をなくす」ことを目的とする安全マネジメント。
安全を「失敗の数が受容できる程度に少ないこと」と定義。
失敗には原因があるという考え方。
アクシデントやインシデントが発生しないことを目的としているため、アクシデントやインシデントの情報収集し、原因を特定し、再発防止策を講じます。特定の失敗事例おける固有の原因を見出し、その原因に見合った個別の対策を講じていきます。
Safety-Ⅱ
擾乱と制約下での日常業務のなされ方に着目し、「物事がうまく行われるようにする」こと。
安全を「成功の数が可能な限り多いこと」と定義。
成功も失敗も同じように起こるという考え方。
ダイナミックイベントである「動的な日常業務」がどのように行われているかを理解する必要があります。変化する日常の中で人々のパフォーマンスの調整を行っているため、仕事などはうまくいっています。そのため、パフォーマンスの調整は社会技術システムが機能するためには必須の条件です。ものごとがうまく行われている理由である「パフォーマンスの調整」を単純に悪者(失敗の原因)とみなして除去すると、システムは機能しなくなります。
パフォーマンスの調整
Safety-Ⅱでは限りあるリソースの中で
- 人々が状況に合わせてどのようにパフォーマンスの調整をしているか
- なぜそのようなパフォーマンスの調整を行う必要があるのか
を理解することが大事であり、安全面、生産面でも意味があります。
なぜなら、調整によって、多くのことがうまく行われ生産性の向上につながる一方、物事が悪い方向に進むこともあるため、安全上うまくマネジメントしなければなりません。
調整のタイプ
- 仕事のしやすい環境を確保する、作り出す調整
いくつかの医薬品を病棟に定数配置など
- 足りないものを補う調整
時間が足りなければ作業を素早く行う、道具が足りなければ代替品をうまく活用するなど。
- 将来起こりうる問題を避ける調整
たとえばダブルシリンジ法がそれにあたります。
ダブルシリンジ法
20mlのシリンジに充填された注射薬を、シリンジポンプを用いて5ml/hrで投与すると4時間後に交換しなければならない。頻回に注射薬シリンジを交換しないで済むよう2台のシリンジポンプを使って2.5ml/hr,2.5ml/hrで同時投与する。
このようなパフォーマンス調整がうまくいくと、そのやり方を頼るようになり、日常のプラクティスの一部となります。Safety-Ⅱではパフォーマンスの変動を除去するのではなくそれらをモニターし、マネジメントすることで物事が確実にうまくいく方法を検討するものです。
Safety-Ⅱ
Safety-Ⅱでは日常臨床業務を学習対象とします。
- どのようにうまく行われるか
- どのようにうまくいかなくなるか
を理解し、物事がうまくいく方法を促進する対策をとります。
そのためには「学習対象」と「分析方法」がポイントになります。
- 学習対象
深刻な事象より頻度の高い業務を行う。
深刻な結果に至ったまれなアクシデントから学習するのではなく頻度の高い日常業務に見られるパフォーマンスの多様性と調整から学習。
- 分析方法
深く見る前に広く見る。
うまくいく理由をみつけるため、通常のパフォーマンスに見られるバリエーションを広く探索
深さ優先で探索すると・・・?
- 説明がつきそうな原因が見つかったところで、探索を辞めてしまう
- 再発防止策が立てられると、問題解決済みとみなして組織としての学習には至らない
などが生じてしまいます。
Work-As-Done・Work-As-Imagined
- Work-As-Imagined(WAI)
頭の中で考える仕事のなされ方
ガイドライン、マニュアルなど「現場の仕事はこのようにされるべき、されているはず」
- Work-As-Done(WAD)
実際の仕事のなされ方
その場の状況やリソースに合わせたパフォーマンスを人々が行う
WAIとWADを理解し、その間のギャップを縮める方法を検討する必要があります。
また、WAIとWADのギャップはどこでも存在します。具体例を見ていきましょう。
- 医療安全管理者と救急
一般病棟でも救命センターでも、血液製剤投与直前はバーコードリーダを用いて、患者と医薬品の一致確認を行うべき
初期治療室では治療中の清潔操作用の覆布のかかった患者では、患者の手首に着けているネームバンドのバーコードをPDAで読むことはできない
- 麻酔科と外科
外科医は予定手術時間を遵守すべき
安全操作と手術目的の達成を優先しており、予定手術時間内に終われないことがある
- 薬剤部長と薬剤師
年末年始の連休は通常の休日と同じ人員配置で対応できるはず
連休3日目に通常の休日よりはるかに多い処方オーダーがだされ、入院調剤室の業務がパンクする
- 病院経営者と現場
診療科病棟から複数科混合病棟にすると、病床が有効利用されて収益が上がるはず
混合病棟にすると病床利用に関する診療科の責任があいまいになり、かえって病床稼働率が低下する
このように、いたるところでWAIとWADのギャップが存在することがわかります。あらゆる仕事でWAI(予定、計画、想像、ルール等)は必要ですが、WAIとWADに差があると埋めるために様々なパフォーマンス調整が必要になります。マニュアルを絶対的に正しいとして「ルールを守っていない、ルールを守るように」という対策は効果を発揮しません。ルール違反に見えても、実はパフォーマンス調整の結果でその背景には理由があると考えるべきです。
WAIとWADを近づけるためには・・・?
Safety-ⅡはWADがどのように行われているか、なぜパフォーマンス調整が必要なのかを理解する必要があります。そのため、
- 現場観察
- 関係者へのインタビュー
- 病院情報システムのデータ
- インシデントレポート
などの情報源から得たデータをもとにWADを明らかにしていきます。
その後、WAIとWADのギャップを縮め、不要なパフォーマンス調整を減らし、さまざまなパフォーマンスの変動が相互作用することで物事が悪い方向へいかないように対策を講じていきます。
システムがレジリエントなパフォーマンスを行うためには・・・?
システムがレジリエントなパフォーマンスを行うためには、状況に合わせてパフォーマンスを調整して適応する能力が必要になります。では、どのような能力が必要でしょうか。確認していきます。
想定する能力
何を予期すべきか知っており、未来におこりうる混乱、要求、制約などに関して想像し準備することができる能力
モニターする能力
何をみるべきか知っており、近い将来組織のパフォーマンスに影響を及ぼすことに関してモニターすることができる能力
対応する能力
何を「すべきか知っており、日常的な変化やイレギュラーに対して準備していたことを行動に移す、あらたな対策方法を実施する能力
学習する能力
何が起こったかを知っており、経験したことから学習する能力
以上4つの能力は独立系ではなく、密接に関係してます。
レジリエントなチームを作るために
機能するチーム
チーム
人々が共通の目標を目指して協力する、常設の固定されたグループ
チーミング
必要に応じて即興で構成されたメンバーによりとどまることのないチームワークが行われる
チーミングが成功するには、
- 率直に意見を言う
- 協同する
- 試みる
- 省察する
が必要になり、これらが成功するためには心理的安全性が重要になります。
学習する組織
学習する組織は学習する組織(ボトムアップ)が必要になります。従来の経営マネジメント(トップダウン方式)には様々な問題点があります。
トップダウン方式の問題点
- 評価によるマネジメント
目に見えないものを低く評価する
- 追従を基盤にした文化
上司を喜ばせることで出世する、恐怖でマネジメントする
- 結果の管理
経営陣が目標設定して、社員はその目標が達成する責任をおわされる
- 正しい答え対誤った答え
専門的な問題解決が重視される
- 画一性
相違は解消されるべき問題
- 予測とコントロールは可能
マネジメントとはコントロールすることである
- 過剰な競争と不信
人の間における競争は必要不可欠である
- 全体性の喪失
断片的に物事をとらえる。
一方、ボトムアップ方式では以下のような点が重要になる。
ボトムアップ方式
- 自己実現
一人ひとりが目指しているものを実現する
- メンタルモデル
組織のふるまいはフィードバックやタイムラグなどにより予測できないような反応をすることを理解する
- 共有ビジョン
個人のビジョンを共有ビジョン(自分たちは何を創造したいか)につなげる
- チーム学習
共に考えて行動し、個人で得ることができない英知を獲得する
- システム思考
システム全体のふるまいをシステムの構成要素がどう動き、どう考え、どうやりとりするか。
さいごに
以上がSafety-Ⅱの概要になります。近年、臨床工学技士が医療安全へ進出してきています。病院内には医療機器がたくさんあるため、医療安全への需要はありそうです。
医療安全の基礎知識として「Safety-Ⅱ」の考え方をしっておくことは大変いいことだと思います。「Safety-Ⅱ」の考え方は近年でてきたものです。わたしも最近まで知りませんでした。
私が「Safety-Ⅱ」の考え方をしったのは日本集中治療医学会の「医療安全セミナー」でした。受講料も安く、わかりやすかったためおすすめです。
↓日本集中治療医学会の「医療安全セミナー」について
参考図書・PR
- レジリエント・ヘルスケア入門: 擾乱と制約下で柔軟に対応する力
具体例などもあり、とても分かりやすい本です。
医療安全と聞くと、どうしても失敗を深堀するSafety-Ⅰのイメージですが、Safety-Ⅱの考え方はとても勉強になりました。
組織のお話
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